ある日のこと、北浦田村の高沢家(屋号小坂)に
24、5歳の若者がみすぼらしい姿で訪れ、
「しばらく置いてください」と頼んだところ、
主人は快諾しそこに住むことになった。
若者は大変働き者で、いつの間にか
一家に無くてはならない存在になり3年が過ぎた。

ある日、若者は今まで一切語らなかった身の上話を切り出した。
「実は私はこの上にある鼻毛の池の主です。
3年前蒲生の池の主に頼まれ、仲人を引き受けました。
信越国境の野々海の池に適当な婿がいることを聞き、
はるばるこの池を訪れ
『蒲生の池はこの辺では大きな池で姫も美しい。
年頃になったので婿を探していたところ、
こちらによい若者がいると聞き、訪れた次第です』
と頭を下げてお願いしたところ、野々海の池の主は
『あんな田の水や汚水の流れ込む汚い蒲生の池なんかに
大切な息子をやるわけにはいかない。
とっとと帰れ』と剣もほろろに断られた。
私はカッとなってかみ殺そうかと思いましたが
歯をかみしめて我慢しました。

帰って蒲生の主にその委細を伝えましたところ、逆鱗しましたが
何とかなだめて、恨みを晴らすときまではと
お互いに剣を磨くことにしました。
そこで私はお宅に伝わる名刀をお借りしたいため、3
年お仕えしたところです。
なにとぞ私の心情をお酌み取り下さい」
と懇願したところ、主人は同情して二尺有余の名刀を貸し出した。
一方、蒲生の池の主も水梨村の中屋(屋号)から
同家に伝わる名刀を借り受けて、
「もし私が戦に勝てば一週間後に屋根の棟上にお返しする。」と約束した。
鼻毛の池の主も同様に、
「私が勝った際には屋根の棟に野々海の池の主の蛇骨の一片と
共に名刀をお返しする」
と言うことを誓ったが、高沢家の3兄弟のうち、
長男と次男の二人が助太刀に行くことになったので、
吉日を選び決死の覚悟の上、一同出発した。
野々海の池の主もこのことを知り、信州森村の某家から
名刀を借り受けて時や遅しと待ち受けていた。

山頂に到着した一行は身支度万端。助太刀の二人に向かって、
「私達は赤の波となり、野々海の池の主は黒い波となって戦うが、
黒い波が出たらこれを切り、赤い波が出たら応援すること。
また野々海の池の一族は動物に姿を変えて池から逃れようとするから、
一匹残らず切り捨ててくれ」
と約束して出で立った。

乱闘は一進一退。助太刀の兄弟も池からはい上がる動物を
切って捨てること七日七晩に及び、池は真っ赤な血の池と化し、
ついに積年の恨みをはらして、鼻毛・蒲生の池の主は
それぞれの池に戦勝の凱歌をあげたという。

この戦いに使われた名刀は、
一週間後に直径六寸厚さ四寸くらいの蛇骨と共に
高沢家の棟上に返されたが、
蛇骨を三等分して、一片を信州に、一片は同家から分家した
大荒戸村の高沢家へ届け、家宝として保存されたという。
その後、野々海の池は主を討たれ一族郎党皆殺しにされたので、
池は乾き池底は草木の生える状態となったが、
絶滅したと思われた一族に三名の遺子が残存し、
ひそかに鼻毛・蒲生の池の主を仇敵と狙って
剣を磨いているとの話しが伝わった。
これを聞いた両池の主はすでに老齢であり、彼らの剣に敵せずと、
鼻毛の池の主は中頸城の某池へ、蒲生の池の主は中魚沼の七ツ釜に
それぞれ身を隠したといわれている。
野々海の池の遺子達も討つべき相手を失ってその志を捨て、
どこかへ去った後は荒れ果て、
蒲生の池も田んぼとなり、昔を偲ぶ何物もなくなり、
鼻毛の池のみ山頂に満々と水をたたえている。

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