越後二大伝説として謡曲や長唄によって広く全国に紹介されている「松山鏡」の発祥の地。

伝説に出てくる鏡ヶ池には次のような話がある。
「万葉集」の歌人大伴家持が、蝦夷征伐の失敗の罪で追われ、この地の中尾に隠棲した。
やがて土地の女との間に京子という娘を授かる。
しかし、母親は、流行病で亡くなり京子は後に継母となった女に折檻される毎日だった。
ある日京子は折檻に耐え切れず、母の形見の鏡を胸に抱き、森の中の池の畔で泣いていると、まるで鏡のような水面に悲しげな母の姿を見た。それが自分の姿とも知らずに「お母さん!」と叫びながら池に飛び込んでしまう。そして、いつしかその池は「鏡ヶ池」と呼ばれるようになったという・・・。

永い間に数度の地すべりによって変容し、当時の様子を変えてしまったが、「松山鏡」を後世に伝える為、昭和61年に「鏡ヶ池公園」として造成。
池畔近くにある、樹齢約1000年の大杉(県指定文化財、通称亀杉)が、その昔を物語っている。
この大杉の下に「羅陀山(きゃらだせん)」という観音堂がある。これは尊い仏法の世界における須弥山に近い山で、地蔵菩薩の住むところといわれている。伝承には、「大伴家持が京子亡きあと都に引きあげる際、信仰していた十一面観音像を後妻に与えた。彼女は非を悔い剃髪してこの仏像を観音堂に納め、終生京子を弔った」といわれる御堂である。

所在地:十日町市松之山中尾

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