昔、浦田の里は、まだ川とも沼ともつかず、辺り一帯が葦原であった。
ここに大きな主、大蛇が住んでいた。穏やかな日和のある日、村人が沼のほとりに来て「きょうは主どんいるのか!」と言いながら歩いているうちに、何か長いものを踏んづけた。
「あっ、主の尻尾かな」と思った瞬間、一天にわかに黒雲に変わり、雷を伴った豪雨が車軸を流すように降ってきた。
ここの主は野々海池の娘に求婚したが、断られてしまった。彼女が唐の国の太湖へ嫁ぐ姿を見たいと、この日10キロメートルも離れた妻有の市川(信濃川)の縁の葦のところまで首を伸ばして待っていたのだ(ここは辰ノ口という)。その尻尾を踏んだのだからさあ大変である。主はすっかり怒って、七日七晩雨を降らせた。村人は天を仰ぎ地に伏して助けを求めたが、主の怒りは解けなかった。
八日目の朝、西の空が急に明るくなり、神の声がして「この悪竜め、改心せよというので讃岐の灘につないでおいたのに、この地に逃げてきて、また悪事を働くとは何ごとだ、もう許さぬ」その声が終わらぬうちに大きな岩が悪竜の頭に当たり、竜は息絶えた。
村人は讃岐の金比羅様が助けてくだされたというので岩の上に宮を建て、朝な夕なにお参りをして初物のなすやきゅうりを供えていた。
そのうちに供物がきれいになくなっていることに気づいた。それどころか、どこの家のなすやきゅうりも食われている。これは「河童のしわざに違いない」ということになり、村中総出で河童を探し、ついに捕らえて大石に縛りつけた。
さすがの河童も人間にはかなわぬとあきらめて、爪で大岩に「ハナマスの蔓になりたるきゅうりかと盗みし瓜に命とらるる」と書いて頭の皿の水の乾くまま死んだ。二度と悪者が出ないようにと、村ではそこに阿弥陀様を祀った。金比羅様と並んで建てた阿弥陀堂は、大騒動の去ったのち胸をなで下ろしたので、別名安堵堂ともいった。
今は道路改良により室野の洞泉寺に移転し祀られている。金比羅様は隣地の大石の上に移築され、今もなお村人たちがお参りをしている。

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