温泉街から約一キロ離れた旧松里小学校の校庭の前に管領塚の碑と「正四位上杉房能自刃之跡」の石柱が建っています。
戦国の乱世、永正四年八月二日、越後守護上杉房能公が部下の守護代長尾為景(上杉謙信の父)に越後国府(上越市)を追われ、わずかの兵を率い松之山へ落ち延びた。逃れようという一心から眺望のきく天水越の矢筈の山頂に登った。だが、眼下に見る信濃川には為景の大群がひしめいていた。もうこれ以上は逃げ切れぬ・・・と観念し、八月七日(午後二時頃)百余名全員が自刃した。しかし、大軍は朝靄に包まれた石ころだった・・・。という話が「管領塚物語」として伝えられています。

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