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志賀夘助氏

▲ 志賀夘助氏

戦後、空前の昆虫ブームを巻き起こし、日本の昆虫採集の父とも称される日本一の昆虫屋「志賀夘助」氏の生涯を紹介し、氏により集められた3800点を超す世界のチョウコレクションの画像や情報を公開しています。

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志賀夘助チョウデータベースコレクション

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志賀夘助氏が収集したチョウコレクションの中には、今ではワシントン条約*で国際取引が禁止されている種も多数含まれています。この他にも、現在は絶滅危惧種**に指定されている種もあることから学術的にも大変貴重なコレクションとなっています。

※ワシントン条約:絶滅の恐れのある野生動植物の国際的な取引を規制する条約。チョウの仲間ではシボリアゲハ属やトリバネアゲハ属、左の写真にあるテングアゲハなどの仲間が含まれている。
※※絶滅危惧種:絶滅の危険にあり、採取や売買が禁止されている種を指す。夘助氏のコレクションにはキイロウスバアゲハやオオルリシジミなど貴重な標本が多数含まれている。

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志賀夘助氏の生涯

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ステンレス昆虫針

▲ 夘助氏が開発したステンレス昆虫針(有頭シガ昆虫針)

昆虫採集用具

▲ 志賀夘助氏が開発した昆虫採集用具(三角ケース・殺虫管・毒ツボ・三角紙・各種ピンセット・吸虫管)

1903年(明治36年1月6日)
父志賀恒七氏の次男として新潟県松之山村(現十日町市松之山地区)で誕生する。家が貧しかった夘助氏は重要な働き手の一人であったため、昆虫採集とは無縁の生活を送る。高等小学校(現在の中学校)を卒業し、一旦地元の石油工場に就職するも半年足らずで工場は閉鎖されてしまう。これをきっかけに、故郷に錦を飾らんと上京を決心する。

1919年(大正8年、夘助氏 16歳)
上京当初は浅草の時計屋で奉公したが、その後“平山昆虫標本製作所”で働くようになる。ここで初めて昆虫標本と出会い、そのすばらしさに大きな衝撃を受けるとともに、この仕事を自らの天職とする決意をする。

1931年(昭和6年、夘助氏 28歳)
平山昆虫標本製作所から独立し、“志賀昆虫普及社”を設立する。昆虫学の普及には安い採集用具や標本作製用具が必要であると考え、戦争の色が濃くなる中オリジナル商品の開発に邁進する。

1946年(昭和21年、夘助氏 43歳)
戦争が終わり、採集用具や標本作製用具の製造を再開する。防空壕の中に置いていた洋銀製の昆虫針が錆びてしまったことをきっかけに、錆びないステンレス製の針の開発に着手する。20年以上かけて開発を続け、ようやく使いやすいステンレス昆虫針(有頭シガ昆虫針)が完成する。今も世界中で愛用される画期的な製品となる。

1957年(昭和32年、夘助氏 54歳)
日本科学標本協会が設立され、初代会長になる。(昭和50年まで18年間)

1964年(昭和39年、夘助氏 61歳)頃
昆虫ブームが到来し、日本中の子どもたちが昆虫採集や標本作製に夢中になる。夘助氏が夢見ていた昆虫普及の時代が現実のものとなる。

1974年(昭和49年、夘助氏 71歳)
昆虫普及のために様々な用具を開発した功績がたたえられ、黄綬褒章を受章する。

1992年(平成4年、夘助氏 89歳)
昆虫採集や昆虫標本の普及に尽力した功績が認められ、松之山町(現十日町市松之山地区)の名誉町民となる。(現在は十日町市名誉市民)

1996年(平成8年、夘助氏 93歳)
自身の人生を振り返った著書『日本一の昆虫屋 ―わたしの九十三年―』を出版。

1997年(平成9年、夘助氏 94歳)
長年をかけて集めた3,800点を超える世界中のチョウコレクションを松之山町(現十日町市松之山地区)に寄贈する(現在「森の学校」キョロロが保管・管理)。

2007年(平成19年4月15日)
永眠。享年104歳。