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茶色のライン

志賀夘助伝 〜虫と歩んだ104年〜 ②

茶色のライン

初めての昆虫採集
当然昆虫を触らせてくれるだろうと思って入ってみると、待っていたのは子守りとご飯の支度、掃除といったおさんどさんでした。
待つこと数ヶ月、先輩の清どんに連れられて、初めて昆虫採集に行きました。原っぱに行くと、チョウやトンボがたくさん飛んでいました。「標本にしよう」と思って昆虫を採るのは初めての経験です。チョウにはいろいろな色も形も大きさもあって、ごく近所の野原でさえ、さまざまな種類が飛んでいることに驚きました。チョウやトンボの姿をじっと観察する、狙いを定めて補虫網を振りかざして、思った通りにそれらを採る、手に入れてまたじっくりと見つめて大切に持ち帰る…。どのときをとっても物珍しく、心はずむことでした。
自分で選んだ道が、間違っていなかったと思い直していました。


初めての昆虫採集

図鑑を手にして
昆虫の標本を作るときには、種名や採集地・採集日を記入したラベルを添えなくてはなりません。
種類を見分けるために、基本的な種類は全て頭にたたきこんでおくことが必要です。
それには、昆虫図鑑がなんとしても必要でした。
当時、体系的な昆虫図鑑といえば、主人が持っていた「新日本千蟲図鑑」だけでした。ところが、主人はその本を見ることを許してくれなかったのです。そこであるとき、夜中にそっと起きて、主人が寝ている部屋に行き、図鑑をこっそり広げてみました。ところが、図鑑を手に大きなため息をついてしまいました。「こんなにたくさんの種類は覚えきれない。」しかし、名前が覚えきれないという理由で辞めることは、絶対に嫌でした。
だから、どんなに大変でもコツコツ一種ずつ特徴と名前を覚えていきました。


図鑑を手にして

虫けらと呼ばれ
平山昆虫標本製作所では、標本を製作して販売するのが仕事です。
主な販売先は学校と一部の華族階級の人たちです。世間一般では、昆虫採集をする人などまずいませんでした。ですから、昆虫を一心に集めていると、通りすがりに「なんで虫けらなんか採っているんだ。汚らしい。」と吐き捨てるように言われることがたびたびありました。言われるたびに、自分が虫けらになったような、バツの悪い嫌な気分になりました。
父親にも「そんな虫けら相手の商売なんかだめだ。早く商売替えをしろ。替えないなら勘当だ。」と言われました。一般の人たちは虫けら扱い。一部の人たちの貴族趣味。
このギャップは非常に大きく、何ともはがゆいものでした。このことが、その後夘助さんを昆虫普及へと向かわせたのでした。


虫けらと呼ばれ