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茶色のライン

志賀夘助伝 〜虫と歩んだ104年〜 ③

茶色のライン

志賀昆虫普及社の設立
昆虫学の普及が夘助さんの夢。当時、どこへ採集に行っても「虫けらなんて採って何するんだ」と馬鹿にされます。多くの人の昆虫に対する無理解が残念でたまりませんでした。
一度でも昆虫を採ったり、標本づくりをしてみれば昆虫学がどれほど奥の深い学問なのかわかるのではないだろうか。
だから、昆虫採集道具・研究道具を自分で開発して作って、昆虫の楽しさを一般の人たちにも伝えたい…。その思いから、十年以上勤めた平山昆虫標本製作所を辞め、自分の店を持つことにしました。
店の名前は、「とにかく昆虫学を日本人に広げたいという気持ちで店を始めるのだから」と「志賀昆虫普及社」とつけたのです。

志賀昆虫普及社の設立

初のオリジナル商品
昆虫学の普及のためには、何よりまず安い昆虫採集・標本作製用具の開発が必要でした。
しかし、1931年(昭和6年)の世の中は、戦争に向かって動き出し、物資は徐々に乏しくなっていきました。
それでも、昆虫針と補虫網はどうしてもつくらなければならないという意気込みだけはありました。
それにはまず、いい職人が必要です。夘助さんは、金物細工の職人探しから始めました。しかし特殊な製品で、手間がかかる割にはお金にならないため、どの職人も作るのを嫌がります。
方々の金物職人を訪ね、無理を承知で頼みこみました。ご馳走したり、おせじを言ったりとあらゆる手を尽くして、何ヶ月もかかって、やっと承知してもらいました。
こうして、初のオリジナル商品であるシガ洋銀昆虫針が誕生しました。

初のオリジナル商品

昆虫の楽しさを普及
昆虫を広めるには、子どもに昆虫採集を遊びの一つとして楽しんでもらうのが一番と思いました。雨の日には店先にテーブルを置いて、そこで標本作りをしました。いわば標本作りの実演販売です。
「うわぁ、カブトムシだ」「あ、チョウチョの標本だ」と、道を歩く子どもたちが近寄ってきました。大人も物珍しそうに覗き込んでいきます。
さらに夏には、三越、高島屋などの百貨店で、標本の作り方のデモンストレーションをし、子どもたちからの昆虫の相談に応じたのでした。大勢の子どもたちが集まってきて、作業する手元を食い入るように見つめていました。
百貨店で大々的に宣伝したせいか、着々と昆虫熱が広がっていたのです…。

昆虫の楽しさの普及