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マリア観音と隠れキリシタン


○キリシタン遺跡の発見
昭和41(1966)年、元立教大学総長高田茂博士が調査に入り、マリア観音を発見。
昭和45(1970)年8月に発表された高田博士の「石のマリア観音耶蘇仏の研究」
および松之山においての講演によると、
?松之山に子どもを抱いた石造観音があるというので調査に来て、
陽広寺の石段の下で発見したのが最初の石仏であった。
?湯本の秋葉山登り口・薬師堂で子どもを抱いている仏像を発見。
?湯山の松陰寺において、全国に三体しかない観音様を発見する。
同様の仏像は、山形県東根市高崎のお寺と、北海道岩内の成田山というお堂にそれぞれ一体ある。
?松之山には子安観音や子育地蔵が点在しているが、これをマリア観音とみることができる。
以上の、四点が取り上げられた。

○松陰寺のマリア観音
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松陰寺のマリア観音は「木造聖母子観音菩薩座像」で、全身金箔塗りで、
光背の裏には墨で「諸行無常是坐滅法消滅及寂為楽」と書かれている。
この像の特徴は、右手に幼童を抱いており、その幼童は自由に取りはずすことができる。
なお、頭部の金冠には十字架が巧みに仕組まれており、これも取りはずすことができる。
幼童と金冠がなければマリア観音とは気がつかないよう工夫されている。
全体の高さ43.5センチ、像高21.1センチで、光背は後から造ったものとされている。

○松之山郷に点在する子安観音・子育地蔵
1.陽広寺(松之山)−石造子安観音像
2.子安峰(小谷)−石造子安観音像
3.松陰寺(湯山)−子安観音座像・子育地蔵半跏像
4.秋葉山登り口(湯本)−石造子安観音像
5.薬師堂(湯本)−石造子安観音像
薬師堂子安観音.jpg
6.正法寺(藤倉)−子安観音半跏像・黒観音像
7.薬師堂(東川)−子育地蔵立像
8.観音堂(上鰕池)−子育地蔵立像
9.旧地蔵堂(下鰕池)−子育地蔵立像
10.薬師堂(上之山)−子育地蔵立像
11.洞泉寺(室野)−石造子育地蔵座像

○かくれキリシタンとは…

1549年フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えます。
当初は布教がなかなか進みませんでしたが、ヨーロッパとの貿易(武器、珍しい物品)による利益に目を付けた大名によって保護され急激に広まっていきました。
キリスト教の急激な信者増とその結束力の強さは、天下統一を目指す豊臣秀吉や徳川家康にとって徐々に恐ろしい存在となり、キリスト教の取り締まりを強化していきました。

豊臣秀吉−1587年伴天連追放令、南蛮貿易は容認したので徹底せず。
徳川家康−1614年禁教令発令。キリシタンへの弾圧強化。拷問。処刑。

さらに江戸幕府は、
1639年ポルトガル船の来航禁止=鎖国の完成。
宗門改め−寺請制度、絵踏、五人組連座制、類族張などキリシタンの迫害を強めます。
それは1873年信仰が許されるまで250年も続きました。

この間、キリシタンの選択肢は自ずと絞られてきました。
・殉教−拷問されてもキリスト教を捨てずに、処刑される
・棄教−キリスト教を捨てる。
・潜伏−仏教徒のふりをして、密かにキリスト教を信仰する=かくれきりしたん

そして長い年月の間に、隠れ蓑の仏教や神道、あるいは土俗的信仰と結びつき本来のキリスト教とは異なる形となっていきました。


○松之山にかくれキリシタンがいたのか?

松之山には松陰寺のマリア観音はじめ、各地に子安観音や子育地蔵が点在しています。
松之山では古来、乳幼児の死亡が多く子育てが困難であったことから、
子供の健康を神仏に祈るために子安観音や子育地蔵を生み出してきました。
したがって、これら全てをマリア信仰と結びつけるのは困難です。
しかも、この他に遺物は発見されていないのです。
仮にキリシタン遺物とするならば、
弾圧を逃れるために子安観音や子育地蔵に信仰の対象を求め、
土俗的信仰に形を変えていったとも考えられます。

 

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