大昔、西頸城の「うど」の里に住んでいた奴奈川姫は、いやな求婚相手から逃れるために、「うど」の里をあとにして妻有の里まで来たが、追手のために信濃川は船止めになっていた。
困っているところへ一匹の鹿が来て、川を渡っていった。これを見て姫の一行は鹿の渡った跡を頼りに川を渡り(後の人々はこの伝説によってこの地を「鹿渡」といい、今も呼称されている)、山頂に逃れて濡れた衣服をといて乾かし、しばらく休まれた
(この地を「解き藁峠」という。今の豊原峠である)。これより峠を下り、途中「おとみ坂」(「後見ず坂」・「乙見ず坂」ともいう)を下り、東川村に着いた。
姫はここに供の者を一人残し追手を見張らせた。後にここに宮を建て「後見権現」と呼んだ。
さらに、高館を越え、三桶から松口に逃れてきた。庭先で洗濯をしている老婆がいたので、「追われているので、助けてほしい」と頼んだ。老婆は「隠してほしいなら、この洗濯水を飲め」と言った。
姫は仕方なくその水を飲んで隠してもらった。その後へ追手が来た。老婆は「おら家に隠れる所があったら、どこでも探せ」と言って追手めがけて洗濯水をばらまいた。
後にここに「足洗権現」(葦原権現)として祀ったという。
奴奈川姫は難を逃れて浦田村に走った。追手の目を逃れるため、農家の女になりすまして苧を紡いでいた。
追手は来たが、うまく逃れることができた。ここに大宮を建てて松苧神社と称した。


浦田 松苧神社

犬伏村に来て、ようやくここを住家とした。松苧大権現として、今もなお五葉の松の緑と共に、昔を物語っている。毎年5月8日の大祭には、男子7歳(かぞえ年)の成長を祝い、強くなることを願う「七つ参り」の風習が盛んに行われている。上杉謙信公の祈祷所であったともいわれる。


犬伏松苧神社

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly